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2019/11/03 14:41
個人や家族にとって、健康であること、そのためには、日頃から、病気の予防や、早期発見について、何か手立てをすることが、最近、何より一番大切なことだと思うようになってきました。病院は、病気の人を治すことが中心にあります。地方や過疎地では、医師不足の問題は依然としてあり、また大病院では、診察に、1時間くらい待たされるのは未だに当然のことかと思います。私自身も、30代で網膜剥離になったとき、視界が分単位で少しづつ狭まっていく経験をし、緊急と思い、大病院に駆けつけましたが、待合室は大混雑、診察を待っている間にも、どんどん視界が狭まっていき、看護婦さんに、叫びつくように、自分のその時の眼の状況を説明し、何とか診察を早めてもらえました。
がん(悪性新生物)による死亡数は、第二次世界大戦以降、依然として、一貫して増え続けています。また、九州大学久山町研究を通じて2025年に日本で認知症が700万人を超える推計が発表されています。これらの数字は、高齢人口の増加に伴って増加している部分も大きいと思いますが、一方で、医療の進歩や、新薬の開発が進んでいるのに何故なんでしょう。
早期に発見されたほとんどの『がん』は完治する時代になりました。治療を終えてから5年間再発が見られなければ「完治・治癒」と表現されるのが一般的ですが、全国がんセンター協議会が公表したデータ(全国がん協加盟施設の生存率共同調査2007年〜2009年診断症例)を見てみると、「ステージⅠ」でがんを発見し手術を行なった方の場合の5年相対生存率は、全てのがんでは95.4%、胃がんや直腸がん、乳房がんなどでは100%と発表されています。しかし、発見が遅れ「ステージⅣ」まで進行した場合、5年相対生存率は大幅に低下し、例えば、胃がんでは16.9%となってしまいます。がん治療において大切なことは、何より早期にがんを発見することなのです。
私の父は、胃がんで亡くなりましたが、正義感があり、忍耐強く、肉体労働の仕事で毎日汗水を流して、勤労で、その傍ら、地域のボランティア活動までして、父親の生き方は今でも尊敬しています。父に胃がんが発見され、胃がん摘出手術の際、既にリンパ節への転移が認められ、リンパ節郭清を含む胃全摘出が行われましたが、術後すぐに、執刀医より、予後不良と宣告されました。術後、抗がん剤を服用し、一時期、経過は順調と思われましたが、やがて、腹膜播種から腹膜炎となり、腹腔内洗浄のための開腹が行われ、再度の入院治療の甲斐なく、亡くなりました。
少し話が変わりますが、日本と世界の住宅性能を比べたときに、日本の住宅に顕著な「欠点」があるのをご存知でしょうか。日本の住宅と海外の住宅で最も異なる点は、建物の断熱性能といわれています。私の母親は、慢性心不全で、長い間、動悸や息切れがあり、お正月も過ぎたある寒い冬の夜に、トイレから出て、居間に向かう冷えきった廊下で倒れ、救急車を呼び、市民病院の救急救命室での蘇生の試みも虚しく、他界しました。母の葬儀、火葬を終え、実家の居間にあるタンスの小さな引出しの中に、強心作用のある民間薬の「救心」の各辺がほんの2cm程度の小さな殻瓶が、30瓶くらいはあったのを見たとき、生前、動悸や息切れが苦しかったことを、あまり自分には話さず、いつも笑顔であった母親が自分の脳裏で重なり、涙が出てきました。私の実家は愛知県豊橋市で、日本本土の中でも、割と温暖な地域ですが、そうは言っても真冬の寒さは厳しく、家屋の断熱性能がよかっとは言えないと思いますし、夜も更けてくると、家の中でも特に居間からトイレに向かう廊下では、寒さに身震いしたのを今でも忘れません。
自分の身近な不幸から歳月の経った今でも、両親が少しでも長生きができるように、何か手立てはなかったのかと考え続けています。自分も年齢を重ねるたびに、自分自身の健康についても、考えるようにもなってきました。また、誰でも、若いうちは、少々、無理しても大丈夫なのかも知れませんが、それは自分の体の健康について過信しているだけかもしれません。両親との死別という自分自身に起こった悲しい出来事から、今日にかけても、医師や研究者たちのたゆまぬ努力によって、医療は進歩し続けています。家屋の耐熱、遠赤外線による床暖房、体を温めるための工夫、がんや早期発見や認知症の早期診断法の確立など、私たち一人一人にとって、今、手立てのできることは整ってきているように思います。